奥の細道を訪ねて第16回 (3日目)長浜~大垣
11月28日(3日目) ホテルの窓から、目の前に長浜城と琵琶湖が見えました。
朝食前に散歩しようと玄関まで降りましたが、雨が降っており、風も強く、暫くロビーで新聞など読みながら様子を見ていたところ、雨が止んだので、長浜城まで行きました。
長浜城は江戸時代前期に廃城となり、その城跡に明治42年に作られた豊公園。長浜城主だった豊臣秀吉に因んで名付けられたとのことです。
紅葉が綺麗でした。
昭和58年(1983)に安土桃山時代の城郭を模して「昭和新城」が復元されました。内部は歴史博物館として公開されています。
長浜城址
本丸跡
雪吊の先端に縄の瓢箪が掲げられ、職人技ですね。
琵琶湖の畔の道をホテルに戻りましたが、風の冷たいこと!寒いこと!!
この日 最初に訪れた慶雲館は、明治時代に長浜の豪商・浅見又蔵が私財を投じ、明治天皇の行在所として建てた迎賓館です。広大な庭園は国の名勝に指定され、現在は公共の施設として、そのほか観光施設として一般公開されています。
ここに、日本最大の句碑がありました。見上げるような巨石に「蓬莱にきかはや伊勢の初たより はせを」と刻まれた芭蕉句碑です。元日に床の間の蓬莱飾を前にして、神々しい儀式の営まれる伊勢神宮あたりから、初便りを聞きたいものだ、との句意。
高さ5メートルという大灯籠もありました。
長浜八幡宮
源義家公が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮より御分霊を迎えて鎮座された。兵火により社殿のほとんどを焼失したものの、長浜城主となった羽柴(豊臣)秀吉により再興された、とのこと。
参道
参道から摂社 天満宮への入口にある芭蕉句碑
「をりをりに伊吹を見てや冬籠」
墨を塗って拓本を採ろうとして失敗されたために、黒くなってしまったようです。
摂社 天満宮
拝殿
幣殿
本殿
摂社 高良神社
御祭神の竹内宿禰(たけのうちのすくね)は長寿の神様で、健康でボケる事なく活躍された故事により、ボケ封じの大石がありました。お願いすれば良かった、、、
私の子年と、夫の丑年、可愛い「起き上がり守り」を買いました。
七転び八起き.....「起き上がりこぼし」になっているのです。
織田信長・徳川家康連合軍(約3万の兵)と浅井長政・朝倉影健連合軍(1万8千の兵)が激闘を繰り広げた姉川古戦場
戦いは信長の勝利に終わりました。この姉川一帯は血に染まったといわれ、供養塔が建っていました。
供養塔の前に建つ木導の句碑「春風や麦の中行く水の音」
木導は禄高150石の彦根藩士 晩年に芭蕉門人となり、「風俗文選犬注解」の作者列伝に「蕉門の英才なり 師翁奇異の逸物と称す」と記され、また 芭蕉はこの句を「木導が春風 景曲第一の句也 後代手本たるべし」と称賛し 褒美に「かげろういさむ花の糸口」という脇をつけたした、と説明版に記されていました。また、最初は「姉川や麦の中行く水の音」であったところ、芭蕉が「春風や」に直したとの話もあるとか。
滋賀県米原市にある観音寺は豊臣秀吉が石田三成を見出したことで知られる古刹です。石田町は三成が生まれた町です。
総門
総門を入った右手、参道の入り口に芭蕉句碑が建っています。
「其のままに(よ)月もたのまじ伊吹山」
伊吹山は月が出ていなくても(月を添えなくても)其のままの姿で十分に美しい。との句意
総門前の道路から見た伊吹山
雲がかかってしまい残念。
総門を入って左手に池の畔を進むと「石田三成水汲みの井戸」があります。
秀吉が鷹狩でこの寺に立寄った際に、小僧をしていた三成が、秀吉に献じたお茶の水を汲んだとされる井戸です。三成が献じたお茶は、最初はぬるめ、2杯目は最初より若干熱め、3杯目は熱いお茶を少量という心遣いで、これを「三椀の才」といい、秀吉に見出されたことで有名です。
石段と本堂
薬師堂
境内
結びの地、大垣で私たちが最初に訪れた正覚寺。入口に「史跡 芭蕉木因遺跡」と刻まれた石柱が建っていました。木因は芭蕉と同門で北村季吟から俳諧を学んだため、芭蕉との親交が深くかったとのこと。(しかし、晩年に芭蕉がめざした「軽み」との考えの相違から、芭蕉と木因の親交は遠くなったとか...)
芭蕉木因遺跡
元禄7年(おくのほそ道行脚5年後)芭蕉が大阪にて病死すると、大垣の俳人如行が中心となり、正覚寺に路通筆「芭蕉翁」追悼碑(尾花塚)を建てました。これは最古の「翁塚」とのこと。木因碑は木因の死後、芭蕉と木因の親交を偲んで建てたそうです。「芭蕉翁」追悼碑の脇に建つ句碑「あかあかと日はつれなくも秋の風」は明治になって建てたもの。翁塚周辺には大垣の俳人の句碑が並んでいました。
隣接する愛宕神社から見た正覚寺本堂
愛宕神社 実は、正覚寺で写真を撮っていて皆に遅れ、なぜ、愛宕神社に入ったのか、聞きのがして分かりません。
大垣城の外堀であった水門川に沿って、奥の細道の全行程およそ2,400kmを2.2kmに縮め、全部で22基の句碑をめぐる「ミニ奥の細道」はこの愛宕神社のあたりから始まりますが、私たちはバスで八幡神社まで移動し、そこから歩きました。
総鎮守として人々の崇敬をあつめている大垣 八幡神社
境内に建つ芭蕉句碑(冬ごもり塚)
「折々に伊吹をみては冬ごもり」 元禄4年(奥の細道行脚の2年後)京都から江戸への旅で大垣に立寄り藩主岡田治右ヱ門邸へ泊った時に詠んだ句。
句碑の前に「大垣の湧水」がありました。大垣は昔から多くの家庭に自噴井戸があり、まちのいたるところに水路があり、「水の都」と呼ばれたそうです。ライオンズクラブ結成30周年を迎えるに当たり、市民の憩いの場となるようにと掘削した自噴井戸です。
本殿(左)と出雲社(右)
出雲社前の銀杏落葉は目が覚める鮮やかさです。
大福稲毛神社の鳥居
大垣天満宮
八幡神社前の八幡大橋と芭蕉句碑
ここから歩いて句碑めぐりをしました。
円通寺の前に建つ句碑
円通寺 大垣藩主・戸田家の菩提寺です
山門
思わず拾ってしまいました。参道の色鮮やかな紅葉です。
本堂
芭蕉句碑
奥の細道の旅で芭蕉は大垣藩家老 戸田権太夫(俳号 如水)の下屋敷を訪れ、弟子の路通と共に忍びにて初めて対顔し、俳諧を楽しみました。 大垣市文化財保護協会編「西美濃の芭蕉句碑めぐりーガイドブックー」より
円通寺の前を流れる水門川(興文橋より )
興文橋を渡り、大垣公園へ、ここで30分ほど休憩しました。
大垣城と初代藩主 戸田氏鉄公の像
天気が良いので、100円の入場券を買い、大垣城の天守に登りました。内部は博物館です。
周りに雲が有りましたが、伊吹山の全容を見ることが出来ました。
川沿いの句碑めぐりを再開
清水橋と水門川
ここで他のツアーの方々と重なり案内板の撮影はできませんでした。
結びの地に近く3つの団体が重なり、やっとのことで撮った碑文。
皆の後を追いかける途中、他の団体に向かって行く仲間の方に気が付き呼び戻しました。
大垣の章段 本文
『露通も、このみなと迄、出でむかひて、みのゝ国へと伴(ともな)ふ。駒にたすけられて、大垣の庄に入れば、曾良も、伊勢より来(きた)り合ひ、越人(えつじん)も、馬をとばせて、如行が家に入り集まる。前川子(ぜんせんし)・荊口父子(けいこうふし)其の他、したしき人々、日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且つよろこび、且ついたはる。旅のものうさも、いまだやまざるに長月六日になれば、伊勢の迁宮(せんぐう)をがまんと、又ふねに乗りて、
蛤のふたみに別れ行く秋ぞ 』
路通は敦賀まで芭蕉を出迎えました。最初に奥の細道に同行する事になっていたのは路通でしたが、門人たちの信用が薄かったので、曾良が同行することになったそうです。曾良は芭蕉の旅の最後を路通に譲ったのではないか?とのことです。
芭蕉は山中温泉で曾良と別れ、金沢からは北支が同行し、松岡天龍寺を訪れたあと北支と別れ、一人で福井に入ります。福井からは等栽が敦賀まで同行しました。敦賀に出迎えた路通と共に芭蕉は大垣に入りました。
結びの地 到着です。
船問屋 谷木因宅前に建つ「奥の細道むすびの地」の石柱。背後に芭蕉と木因の像。
芭蕉(左)と木因(右)の像
蛤塚(芭蕉句碑 右 手前)と木因白桜塚(木因句碑 左 後)
木因俳句道標
木因が建てた道しるべで 「南いせ くわなへ十り ざいがうみち」と句が刻まれています。
くわなへ⇒桑名へ、季語の桑苗を掛けたものです。
本物はむすびの地記念館に展示されています。
水門川に架かる高橋の欄干にも芭蕉の句と木因の句が埋め込まれていました。
「来てミれは獅子ニ牡丹の住居哉 」 芭蕉
「矢張召せ此処ハ伊吹の吹すかし 」 木因
船町港跡 芭蕉はここから伊勢へと旅立ちました。赤い橋は住吉橋。
住吉橋の袂に建つ連句塚
芭蕉の伊勢への旅立に、木因・如行らも船に乗り途中まで見送ったのですね。伊勢に旅立つ日に詠まれた送別の連句を杉風宛てに送った書簡だそうです。
住吉橋の反対側の袂には如行の句碑(如行露塚)が建っています。
最後に、奥の細道 むすびの地記念館を見学しました。観光・交流館、先賢館、芭蕉館、等があり、芭蕉館を興味深く見学しました。
その一つ『且つよろこび、且ついたはる』は
如行の日記によれば、芭蕉は、大垣到着後しばらく病み臥せっていた。人々は芭蕉との再会を「よろこび」一方で、病みつかれた様子に「なげきて」である。など、奥の細道のことが、細かな解説と共に、とても分かりやすく、もっとじっくり見学したい場所でした。
帰路 バスで名古屋へ向かう途中、夕焼けが綺麗でした。バスの席が反対側だったので、窓際にいらした 青森から参加された方にお願いして撮って頂きました。有難う!
名古屋発18時24分ひかりで無事に帰宅しました。
軽い気持ちで参加した奥の細道ツアーですが、回を重ねるごとに奥行きが深まったように思います。歴史講師U先生、S先生のおかげです。有難うございました。見過ごした場所、聞き逃した事、沢山ありました。もう一度訪ねたい場所もあり、機会があればと思います。
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