花は葉に・・・
4月29日、春の叙勲者の発表があり、思いがけなく夫が受章することになりました。瑞宝単光章です。5月16日に三田共用会議所に於いて勲章の伝達式が行われました。配偶者同伴で、私は内示の時は欠席にしていましたが、再度、財務省への出欠の届を出す段階で思い直し、出席にしました。
当日は3時半に起きて、朝食を取って出かけ、6時半から、ホテルで色留袖の着付けと髪のセット&メイクをし、伝達式の会場に向かいました。会場で日程の説明がありましたが、一番後ろの席のためか、補聴器を付けていても全く分かりませんでした。ここでの受章者(財務省関係)は85名でした。開会の辞に続き、国歌斉唱、君が代は何年ぶりかしら?覚えていません。続いて一人づつ勲章が授与され、大臣祝辞、閉会の辞とすすみました。記念撮影後の祝賀会(立食)では和やかな時を過ごし、その後、バス3台に分かれて皇居に向かいました。
皇居では、撮影禁止です。法務省、総務省など合わせて22台のバスが並びました。宮殿(豊明殿)に於いて、陛下に拝謁いたしました。受章者と同伴者に分かれ、間が広く空いていました。ここでも拝謁前の説明は全く聞き取れませんでしたが、陛下は御入場されると、一段と高いところにお立ちになられたので、障害なく、陛下のお言葉を拝聴することができました。受章者と同伴者はそれぞれ、横3列に並び、間が空いていたのは、陛下が受章者と同伴者とに交互に近寄られながら、向きお変えになりながら、ゆっくりと前にお進みなって、ご退場される為でした。幸い私は一番前に居りましたので、感激もひとしおでした。拝謁後は記念撮影をして、宮内庁から十六菊の焼印の入ったワッフル型の三笠山のような「菊焼残月」というお菓子と、「皇室」のアルバムを頂き、財務省に戻りました。
財務省で局の受章者7名(配偶者6名)の記念撮影をし、マイクロバスで支局に向かいました。私の40年前の職場です。支局ではお祝いの会が用意され、国歌斉唱し、祝辞を頂き、記念品も頂きました。配偶者と一緒に一組づつの写真も撮って頂きました。時間もあったので女性6人だけとか、一人づつとか、楽しいひと時でした。
マイクロバスで朝のホテルに戻り、着替えと休憩後に、親睦会が予定されていましたが、関西方面からの受章者5名のうち3名の方がお帰りになりました。残った2名の方はこの日もホテルに泊まるので部屋が有りますが、東京の2名はロビーで約1時間半、支局の方の仕事が終わるまで待ちました。親睦会はホテル内のレストランで6時から開かれました。
支局側の出席者は次長・課長など8名の方々、受章者側は同伴者を含め7名で緊張しましたが、40年前に私も勤めていたということなどで、少しは話のきっかけが持てたかしら?私にとってフルコースの洋食は滅多に頂けることではありません。とても美味しく頂きました。有難うございます。実はこの親睦会は欠席したかったのですが、伝達式を欠席から出席に変えた時がぎりぎりだったので、『ちょっと待ってくださいよ、奥さんは皇居には行かれないかもしれないですよ。』と言われ、その後、『大丈夫です。そのかわり親睦会に出て頂きますよ。』とのことで、夫がOKしてしまったのです。でも、結果良かったです。楽しいひと時を過ごさせていただきました。
人生の最初で最後の良い思い出ができました。夫を支えてくださった皆様へ感謝の気持ちでいっぱいです。
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コメント
久しぶりのコメント投稿ですがご主人様の名誉ある勲章受章おめでとうございます。受章されたご主人様に影のように付き添い支えている奥様の日頃の振る舞が文面にあふれ出ています。旦那様がうらやましい。奥様も旦那様も財務省出身なのですね。私の母も昔の大蔵省出身で楽しい思いが残っているようで生前に話を聞いたことがあります。貴重な体験談興味深く拝読させていただきました。
投稿: 花知らず | 2014年5月24日 (土) 14時50分
花知らず様
ありがとうございます。
大蔵省から財務省に変わったのは何年前だったかしら?私は大蔵省といっても本省ではありません。夫は細かな手作業の職人です。
私は昔 20代前半の頃、叙勲の手伝い(勲章が授与された会場に入って、受章された方に勲章を付けてさしあげ、勲記は丸めて筒に入れ奥様お渡しする)をしたことがありますが、自分が逆の立場になるなど思ってもいませんでした。
投稿: hikobae | 2014年5月26日 (月) 17時21分