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2014年1月 6日 (月)

奥の細道を訪ねて第16回 (2日目)敦賀~長浜

11月27日、2日目の朝です。昨夜は分かりませんでしたが、7階の窓からは港が見えました。
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朝食が早い時間にとれたので、今回は朝食後に散歩しました。敦賀駅は目の前です。交差点の角にスコップが置かれていました。雪深い街なのですね。
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8時15分出発、バスで10分、金前寺に到着です。等栽と敦賀に入った芭蕉は、出雲屋に泊まり、夕食後、気比神宮に参拝し、翌日、天屋玄流らの案内で金前寺を訪れました。私たちの見学順序は芭蕉の行程とは前後します。芭蕉はここで、延元の戦い、陣鐘の物語(南北朝時代の沈鐘伝説)を聞き「月いつこ鐘は沈るうみのそこ」の句を詠みました。その句碑が鐘塚ですが、「おくのほそ道」には記載されていません。芭蕉の木像と、鐘塚帖という句簿もあったが、昭和20年7月の戦火により消失したそうです。高浜虚子、星野立子が敦賀を訪れた折、この鐘塚を訪い、虚子が「句碑を訪うおりから月もなかりけり」の一句を詠んだとのこと。
金前寺
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芭蕉翁鐘塚
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真蹟を刻んだと伝えられているとのことですが、石が重なっているようで、読み取れない部分があります。「月いつこ鐘は沈るうみのそこ」
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金前寺の先が新田義貞と足利軍が戦った古戦場で、金ヶ崎城址と金崎宮があります。
金ヶ崎城址
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坂の途中から見た敦賀市街と野坂山
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城址から見た敦賀湾
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金崎宮
金ヶ崎城址の中腹にあり、敦賀湾を見晴らす高台にあり、紅葉がきれいでした。
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地元の方に「けいさん」の愛称で親しまれている気比神宮。越前の一ノ宮で北陸道の総鎮守。
『おくのほそ道』本文
『十四日の夕暮、つるがの津に、宿をもとむ。
其の夜、月、殊に晴れたり。「あすの夜も、かくあるべきにや」といへば、「越路(こじぢ)のならひ、猶明夜の陰晴(いんせい)、はかり難し」と、あるじに酒すゝめられて、けひの明神に夜参(やさん)す。仲哀(ちゅうあい)天皇の御廟(ごべう)也。社頭神さびて、松の木間(このま)に月のもり入りたる、おまへの白砂、霜を敷けるがごとし。「往神(そのかみ)、遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みずから葦を刈り、土石を荷ひ、泥淳(でいてい)をかわかせて、参詣往来の煩ひなし。古例、今にたえず、神前に真砂を荷ひ給う。これを、遊行の砂持ちと申し侍る」と、亭主のかたりける。
  月清し遊行のもてる砂の上
十五日、亭主の詞にたがわず、雨降る。
  名月や北国日和定めなき   』  

明日の十五夜は晴れるかどうか分からない。ならば、月の綺麗な今宵にと、芭蕉が夜参した気比神宮
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大鳥居(旧国宝・現在は国の重要文化財)は寛永年間に旧神領地佐渡国鳥居ヶ原から伐採奉納の榁樹一本で両柱を建て再建されたのが現在の朱塗の大鳥居で、天下無双の大華表と呼称され、各時代それぞれに権威ある伝統技術によって保存修理が行われてきたとのこと。
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大鳥居前の大通りを隔てた向かい側に、「遊行の砂持ち神事」の像が見えます。
遊行二世の上人が男と土石を担ぎ、もう一人の男が土石を掘っています。
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大鳥居を入った左手には猿田彦神社
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正面の参道と社務所
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手水屋から中鳥居
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中鳥居に向い合って建つ芭蕉像と句碑
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芭蕉像 台座には「月清し遊行の持てる砂の上」の句が刻まれています。
Photo_8芭蕉句碑と芭蕉翁杖跡碑
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句碑 芭蕉露塚「気比のみや  なみたしくや遊行のもてる砂の露 はせをPhoto_11芭蕉翁杖跡碑には
芭蕉翁露塚
  なみたしくや遊行のもてる砂の露
芭蕉翁銅像
  月清し遊行のもてる砂の上
と刻まれていました。

芭蕉翁月五句の碑 芭蕉は敦賀を中秋観月の名所と定めてこの地を訪れ、月の名句を詠みました。その代表的な5句が刻まれています。
「国々の 八景更に 気比の月」
「月清し 遊行のもてる 砂の上」
「ふるき名の 角鹿(つぬが)や恋し 秋の月」
「月いつく 鐘は沈る 海の底」
「名月や 北国日和 定めなき」
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この他にも敦賀では次のような月の句を詠みました
「中山や越路も月はまた命」 
  (越こしの中山=今庄~敦賀の中間、木の芽峠のある大山での作)
「月のみか雨に相撲もなかりけり」 (気比の浜)
「衣着て小貝拾はん種の月」 (種の浜)

中鳥居から拝殿
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拝殿
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拝殿に向かって右脇の柵から見ました。これは御本殿ではなく、四社の宮の一つだと思います。御本殿は左脇からだと拝観できることを 旅の後に調べて分かりました。
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境内の式内摂社 ・角鹿(つぬが)神社 「敦賀」の地名発祥の神社だそうです。
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摂末社は15もあるようです。

市民文化センター前の芭蕉翁月塚
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「諸国を巡り、国々の八景を見尽くして、さらにいま、名月に照らされた気比の海の佳景に接することのできた仕合わせよ。」 句意 田中空音「芭蕉全句鑑賞」より
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私たちも気比の海に向かいました。
日本三大松原の一つ、気比の松原です。聖武天皇の御代に異賊の大群が来襲した その時、敦賀の地は突如震動し一夜にして数千の緑松が浜辺に出現した。そして松の樹上には気比神宮の使鳥である白鷺が無数に群衆し、あたかも風にひるがえる旗さしもののように見えた。敵はこれを数万の軍勢と見て恐れをなし たちまちのうちに逃げ去った。という伝説に因んで一夜の松原とも呼ばれるようです。
広々として気持ちの良い浜でした。ここの月夜はさぞ美しかろうと想像しました。
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『十四日の夕暮れ、つるがの津に、宿をもとむ』と記載されている出雲屋の跡。「芭蕉翁逗留出雲屋跡」の石柱が立っていました。出雲屋の主人弥一郎が芭蕉に「お砂持ち」の故事を伝え、中秋の名月の前夜、月明かりの中を気比神宮に案内しました。
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芭蕉は出雲屋に笠と杖を残していきました。笠は失われたが、『蕉翁宿』の宿額も、芭蕉が残した杖とともに今も伝えられているとのことです。Photo_23
このすぐ先の角を曲がると、天屋玄流旧居跡です。現在はホテルの駐車場です。
敦賀滞在の三日目、『おくのほそ道』で最後の歌枕の地、種(いろ)の浜へ芭蕉を案内したのが天屋の室五郎右衛門です。五郎右衛門は玄流の他に点屋水魚とも号し、当時の敦賀の俳壇では中心的な存在だったようです。
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常宮の海岸べりにある常宮神社。気比神宮の摂社として創建されたと伝えられ、現在は安産の神様として、土地の人々に崇敬されているとのこと。鳥居の前に芭蕉句碑 「月清し遊行のもてる砂の上」がありましたが、刻まれた文字は 読み取れませんでした(三枚目の写真)。
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鳥居と神門
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本殿 神門と本殿の造りがそっくりで 写真整理に戸惑いました。
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境内の東殿宮
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西殿宮
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平殿宮(左)&総社宮(右)
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末社
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紅葉が綺麗でした。鳥居を入った所にあった立札に「落葉の採取を堅く禁ずる」とありました。
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神社にある朝鮮鐘は新羅鐘の数少ない遺品の一つとして国宝に指定されており、収納庫に収められていました。文禄の役で加藤清正が持ち帰ったものを、豊臣秀吉が神功皇后の三韓征伐に因んで 大谷吉継を使者としてここに奉納したと伝えられているが、倭冦によってもたらされたとの説もあるとのこと。混んでいるので後でと思っていたら もう扉が閉まっていました。
新羅鐘堂
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説明版より
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花梨&ますほ貝を ご自由にどうぞと並んでいました。花梨は良い香りがするので、玄関にと1つ。ますほ貝も拾えるかどうか分からないと思い少し頂きました。
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3つ並んでいる貝の真ん中の一番小さい貝と、2つ並んでいる貝の左のほうがますほ貝だと思います。
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この後、本隆寺を見学し、色ヶ浜(種(いろ)の浜)でますほの小貝を拾いました。
色ヶ浜
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『おくのほそ道』本文
『十六日、空晴れてれば、ますほの小貝ひろはんと、種の浜に、舟を走(は)す。海上七里あり。天屋何某(てんやなにがし)と云ふもの、破籠(わりご)、小竹筒(ささえ)など、こまやかに、したゝめさせ、僕(しもべ)あまた舟にとりのせて、追風、時の間に、吹き着きぬ。浜は、わづかなる蜑(あま)の小家にて、侘しき法華寺有り。爰(ここ)に、ちやをのみ、酒をあたゝめて、夕暮れのさびしさ、感に堪へたり。
  さびしさやすまにかちたる浜の秋
  波の間や小貝にまじる萩の塵
其のあらまし、等栽に筆をとらせて、寺に残す。』

色ヶ浜は西行法師がますほの小貝の歌を詠んだ地で、芭蕉にとってはぜひとも訪れたい場所でした。「ますほ」は「まそほ」と同じで、意味は赤い色です。桜貝のような、ベニガイとのことだそうです。この地方でしか採れないようです。私も楽しみにしていた事の一つです。ますほの小貝は常宮神社で見ているので すぐに分かりました。
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赤ちゃんの爪のような、ほんとに小さくて可愛い貝でした。
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侘しき法華寺と芭蕉が記載した寺は本隆寺のことで、芭蕉はこの寺に宿泊しました。当初は禅宗の寺院であったが、日隆上人がこの地を訪れ尽力を尽くしたことで、村人が心を打たれ、日蓮宗に改宗し寺号を本隆寺に改めたと伝えられているそうです。
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境内に芭蕉句碑が2基、右奥の句碑には、傍の石柱に「芭蕉翁杖跡 萩塚」と刻まれています。どちらもこの地で詠まれたものですが、『おくのほそ道』には記載されていません。
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「衣着て小貝拾わんいろの月」
衣着て、は西行にならって墨染めの衣をまとい、という意味のようです
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「小萩ちれますほの小貝小盃」
小盃の中にますほの小貝を拾い集めたようです。芭蕉は小さなますほ貝を、大事に持ち帰り大垣の門人たちへの土産にしたとのことです。
『其のあらまし、等栽に筆をとらせて、寺に残す。』等栽がその日の様子を記した書幅が、本降寺に所蔵されています。
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日隆上人の祈祷石を囲んで建てられた本隆寺の開山堂。
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開山堂の寂塚 (西行の歌碑と芭蕉句碑)
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「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」
この夕暮れの寂しさを「源氏物語」の須磨の浦の寂しさ以上と思ったのでしょう。
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西行歌碑
「潮染むるますほの小貝拾ふとて色の浜とはいふにやあるらん」
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敦賀市街の西、大原山麓にある西福寺。浄土宗では北陸きっての名刹で、1400坪の書院庭園は、四季を通じて閑寂の趣が深く、国の指定名勝になっているとのこと。芭蕉が訪れたかどうかは不明。
総門
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三門
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曾良文学碑 山門前の右手奥にあります。
芭蕉の弟子、許六が旅姿の芭蕉と曾良を描いた「芭蕉行脚図」と曾良が書いた「曾良随行日記」の原本の一節(曾良が元禄2年8月10日、西福寺に立寄ったくだり)が刻まれています。
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御影堂 工事中でした
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阿弥陀堂
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大玄関
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書院庭園
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樹齢600年のスタジイ
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福井と滋賀の県境の峠にある民芸茶屋「とろろそば孫兵衛」で遅い昼食をとりました。
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店は西村家が経営しており、店の前に「芭蕉翁と西村家」という石碑が建っており、西村家は遠く村上源氏の出、この峠を開拓 ここ北陸街道の要所に問屋を営んだ旧家であり芭蕉とのゆかりが深く、おくのほそ道素龍本(国重文)を秘蔵していることなどが刻まれていまし
た。
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とろろそばを美味しく頂いたあと、御当主西村さんから、詳しい説明を頂き、国の重要文化財である「素龍清書本(西村本)」を拝観させていただきました。撮影は出来ませんが、複製品の撮影は自由でした。素龍清書本は『おくのほそ道』の原本の一つで、芭蕉が能書家である弟子の素龍に清書させたものです。
「月日は百代の過客にして 行きかふ年も又旅人也・・・・」の序章の部分
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大垣の章段の最後「・・・・・蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」
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題簽(だいせん=表題)のみが芭蕉自筆とのことです。
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この原本をなぜ西村家が所有しているのかを伝来図にして説明してくださいました。
芭蕉の兄に預けられた後、芭蕉の遺言により 弟子の去来に、去来の没後、 母方の久米升顕へ、升顕の娘が小浜の吹田几遊に嫁ぐ時に持参(引出物として)、敦賀の俳人琴路に渡り、さらにその親戚の西村家に伝わったとのことです。
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『おくのほそ道』原本の説明もして頂きました。
中尾本は平成8年に発見された芭蕉自筆本で七十数か所に及ぶ訂正の跡をとどめた草稿本です。門人 野坡のもとに伝来し、その後の行方の分からなかった野坡本のこと。現在中尾氏が所有しているので中尾本といいます。(野坡本=中尾本)
曾良本は、野坡本を筆写したものに芭蕉自身が改めて推敲し朱や墨で補訂を加えたもので、素龍が清書する際の台本となったもの。曾良随行日記と一緒に発見されました。
素龍清書本には柿衛(かきもり)本と西村本の2つがあるとのこと。
去来本は素龍清書原本を去来自身が筆写しとものとされているが、去来の筆跡かどうか分からないとのこと。
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説明のあと、道路の向側に建つ西村家の庭を案内してくださいました。
西村家(バスの窓越しに撮影)
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趣のある素敵な庭です。(デジカメの電池切れで携帯で撮りました)
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小高くなった場所に芭蕉句碑 「松風の落葉か水の音すゝし」 があったのですが、携帯のカメラに慣れてなくて撮れません。
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滋賀県長浜市の小谷城址(おだにじょうし)に立寄った後、良畴寺(りょうちゅうじ) に行きました。住職さんのお話を伺い、芭蕉句碑を見学し、琵琶湖大仏に登りました。もう辺りは暗くなって、携帯では何も撮れません。
良畴寺(りょうちゅうじ)の句碑は「四方より花咲き入れて鳰の海」。
鳰の海は琵琶湖のこと。門人の浜田珍夕の草庵を訪れての作とのこと。
また、干瓢の実の中に入った芭蕉翁木像がありました。懐中電灯を当ててもらい必死で撮った1枚
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この日の宿は長浜ロイヤルホテル。今回はツアーの最終回ということで、夕食会場にて卒業式?が行われました。参加者27名中15名が卒業(完歩)しました。
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毎回持って行った記録帳
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認定証
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記念品の電波時計と記念バッジ
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でも、まだ旅は終わりません。明日3日目がいよいよ大垣 、結びの地です。




















































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