« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013年10月の投稿

2013年10月 5日 (土)

奥の細道を訪ねて第14回 (3日目) 高岡大仏(富山県)~倶利迦羅不動尊(石川県) 

9月8日、雨が降っていました。朝食前の散策はせず、テレビの前に。オリンピック東京の開催はなるか?見守りました。「 東京ッ !」突然の一言。感激です。次に思いました。私は見ることが出来るのかしら?...

本文
『くろべ、四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古と云う浦に出づ。坦籠(たご)の藤波は、春ならず共、初秋(はつあき)の哀れ、とふべきものをと、人に尋ぬれば、「是より五里、磯づたひして、むかふ山陰に入り、蜑(あま)の苫(とま)ぶき、かすかなれば、芦の一夜(ひとよ)の、宿かすものあるまじ」と、云ひおどされて、かゞの国に入る。
  わせの香や分け入る右は有そ海  』

芭蕉は歌枕で知られる坦籠(たご)に行きたかったが、土地の人から泊まる宿もないところだと警告されて、これを断念し、加賀の国に入りました。

芭蕉が歩いた高岡。私たちが最初に訪れたのは高岡大仏(銅造阿弥陀如来坐像)です。奈良、鎌倉につぐ日本三大仏に数えられており、完成までに30年の歳月を掛けたとのこと。最初は木造の大仏でしたが、明治の高岡大火災で焼けてしまい、御尊顔のみが焼残り、台座の中に安置されていました。
高岡大仏
Photo
美しいお顔に、心が安らぎます。円輪光背の頂点に配された梵字は(キリーク)といい、阿弥陀仏の仏徳を一字で表したものだそうです。台座の中は回廊になっており、なで仏、仏画、焼残った御尊顔などを自由に拝観できます。
Photo_2

加賀藩二代藩主、前田利長公(前田利家の嫡男)の墓所を訪ねました。
利家の時代は、まだ江戸幕府の開幕前で厳密には初代藩主ではなく、利長が初代藩主では?と疑問ですが、前田家の礎を築いた人物ということで、利家が初代ということだそうです。
Photo_3
武将のものとしては全国一の高さの石塔だそうです。立入禁止、入れるのは鳥居まで。
Photo_4
Photo_12

墓所を出て、瑞龍寺に向かいました。墓所前に立っていた案内版
Photo_5
瑞龍寺は、前田利長菩提のため建立した曹洞宗の巨刹。三代藩主前田利常が33回忌に造営したもので、13万㎡。中国の寺院建築を模したという七堂伽藍を備え、周囲に堀をめぐらした大寺院であった(ツアー配布の資料より)。 松嶋の瑞巌寺と同じく、前田城に何かあった時は城の代わりにもなるように造られたそうです。墓所と瑞龍寺を結ぶ参道の長さは八丁(870m)、松並木と石畳の真直ぐなこの参道を八丁道といいます。
参道途中に建つ利長公の像
Photo_6

総門(重要文化財)
Photo_7

山門(国宝)
Photo_8

仏殿(国宝)
Photo_9

法堂(国宝)
Photo_10

禅堂(重要文化財)
Photo_11

大庫裏(重要文化財)
Photo_12

整然とした伽藍構成が気持ちよく、美しい寺院でした。
総門の傍に掲示されていた伽藍配置図
Photo_13
法堂から裏口に出た所にある石廟(県指定文化財)
手前から利長公、利家公、織田信長公、同室正覚院、織田信忠公(人陰になってしまった)です。利長の正室は織田信長の娘(永姫)、織田信忠は信長の嫡男で本能寺で信長が討たれた時、共に二条御所で明智光秀に討たれました。
Photo_15

芭蕉が行きたかったけれど、土地の人におどされて行かなかった藤波神社。芭蕉さんに代わって参拝しました。藤波神社は大伴家持から授かった太刀を御神体として祀ったのが始まりとのこと。境内は藤の花の名所として知られ、鳥居の上を藤が覆っていました。花の季節は見事なことでしょう。雨も止んできました。
Photo_2
Photo_3
拝殿
Photo
拝殿の裏に建つ大伴家持の歌碑
「藤波の影なす海の底清み波著く石をも珠とぞ吾が見る」
Photo_4

NHK講座テキスト参照 「曾良旅日記」を参照しますと、その間、暑さはなはだしく、芭蕉も「気色勝レズ」、つまり気分のすぐれない状態であったようで、「坦籠」へも「行カント欲シテ、往カズ」と云うのが真相であったことがわかります。それを道を尋ねた土地の人に「言いおどされて」断念したかのように虚構化しているところに、「おくのほそ道」の文学空間の特徴がよく出ているといってよいでしょう。俳諧らしく、一ひねりして、おどけてみせたような笑いのスタイルが、そこにうかがえるからです。とのこと。「おくのほそ道」は文学性を高めるために実際とは少し異なる記述が時折りありますね。

芭蕉が参拝した埴生護国八幡宮
奈良時代に宇佐八幡宮(大分県)の御分霊をお迎えしたのに始まり、天平時代には越中の国守大伴家持が国家安寧を祈願した。また、木曾義仲は倶利伽羅山で平維盛(これもり)と決戦するにあたり、戦勝の祈願をこめて著しい霊験があった。以来武将の崇高厚かったとのこと。
社殿は加賀藩の寄進により造営されたもので、富山県を代表する神殿建築とのこと。奥から本殿、釣殿、拝幣殿の3棟。
Photo_6

鳥居の神額の文字「八幡宮」の八の字は向き合った鳩になっています。八幡宮のお使いと云われる二羽の鳩ですね。Photo_7Photo
石畳になっている参道の先にかつて3段の石段があり、現在の石段と合わせて108段(百八煩悩に因む)の石段だったようです。
Photo
現在の石段
Photo_2PhotoPhoto_4
鳩清水
富山の名水55選の一つ。水源を倶利伽羅山中の幽邃境「鳩清水」の滝に発し、3キロの山側を経てここに至っている。木曾義仲が戦勝祈願の折、白鳩の飛来があり、その案内で源氏勢が、清水を得たと伝える霊水(案内版より)。
Photo_3

参道を挟んで向かい側に建つ源義仲(木曾義仲)騎馬像
源義仲は源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる
Photo_5

倶利伽羅峠は富山県小矢部市と石川県津幡町との境界の砺波山にある旧北陸道の峠。木曾義仲が「火牛の計」の奇襲で平維盛を破った古戦場です。現在は、歴史国道「倶利伽羅越え いにしえの街道」として整備されています。芭蕉が歩いた道を歩きました。倶利迦羅不動尊まで、休憩など含めて約1時間半ぐらいだったかしら?
長坂登り口で軽く準備体操してから歩き始めました。
Photo_2

たるみの茶屋跡
遊行上人も北陸巡錫の節は、倶利伽羅峠を越えたとの説明版と歌碑が建っていました。
Photo_3
遊行上人歌碑
Photo_4
時折り見晴らしの良いところに出ます。
Photo_5

平安時代・鎌倉時代に砺波を詠んだ和歌の歌碑も所々に見られて、倶利伽羅峠は多くの文人墨客が通った歌枕の地ですね。
Photo
Photo_7

峠の茶屋跡
東海道中膝栗毛の作者、十辺舎一九は加越(加賀国と越前・越中国)を旅して、倶利伽羅峠の茶屋で一服した時の印象を著書に誌しているとのことです。
Photo_8

矢立堂と塔の橋
平家と源氏それぞれの最前線となった場所。矢立堂は平家軍の放った矢が林のように突き立ったことによるとか。
Photo_9
Photo_10

矢立観音
江戸時代末期、津幡町竹橋と小矢部市石坂の間の道しるべと旅人の安全を祈念して33体の観音仏が安置されたが、明治の廃仏毀釈の際、関わりある人々によって各地に移された。ここ観音仏は埴生地内に移されていたがしばらくして元の場所に戻されたもので、33観音のうち元位置が確かな唯一のものだそうです。
Photo_11
矢立の標柱
Photo_12

砂坂登り口
木曾義仲は角に松明をくくりつけた数百頭の牛をここから平家軍に向けて放ったと標柱に書かれていました。
Photo

弘法大師がこの道をお通りなされた時、手に持つ錫杖で地中を刺すと真清水が沸き出したと伝えられている「弘法の水」が道端にありました。
Photo_2

砺波山(265m附近)からの展望
Photo_3

猿が馬場
源平合戦のときの、平維盛が布いた本陣の跡。芭蕉塚、芭蕉句碑、猿が堂などがあります。
猿が馬場の名前の由来は、峠を登った馬がたくさん、猿が堂の辺りにつながれていたからだそうです。
Jpg
芭蕉塚(芭蕉句碑)
朝日将軍とうたわれた木曾義仲の末路を涙して詠んだ句ですが、越前燧ヶ城跡で詠まれたもので、「おくのほそ道」の句ではありません。
Photo_4
私の記憶が不確かですが、もう一つの芭蕉句碑も、この猿が馬場にあったのかしら?やはり「義仲の寝覚め山か月かなし」の句です。
Photo_5
平維盛の本陣跡
Photo_6
猿が堂
その昔、原というところにかしこい猿がいて、人間の真似をして幼児を熱湯に入れ死なせた。猿は追われ、この土地に住み、旅人などに悪さを重ね殺されました。元の飼い主が弔いのお堂を建たという。
Photo_7

火牛の像
「火牛の計」は中国の故事にある計略だそうです。義仲の源氏軍は深夜、角に松明をくくりつけた牛、数百頭を先頭に、平家軍を急襲した。 夜襲に驚いた平家軍は大混乱、唯一敵の来ない方へと逃げた先は断崖、、、谷底へと落ちていったそうです。
Photo
Photo_8
「源平合戦慰霊之地」と刻まれた石碑
慰霊塔もありましたが、後でと思っていたら、時間が無くなり傍までいきませんでした。
Photo_2
宗祇の歌碑
「もる月にあくるや関のとなみ山」
Photo_3
旧街道の俤が残る道を倶利迦羅不動尊へ向かいました。
Photo_4

倶利迦羅不動寺 手向神社鳥居
Photo_5

手向神社 石堂神殿
Photo_6

本殿
倶利迦羅不動尊は、1300年の昔、インドの高僧善無畏三蔵法師が、国土安泰・万民豊楽の祈願をなされた折に感得された倶利迦羅不動明王を、お姿そのままに彫刻し泰安された御尊像です。倶利迦羅とは、インドのサンスクリット語で、“剣に黒龍の巻きついた不動尊”で、古来より倶利迦羅紋々として入墨にまでされて信仰されている御本尊様です。このようなお姿のお不動様は日本では一尊である。倶利迦羅不動尊パンフレットより
Photo_7

厄除錫杖
智杖徳杖(ちじょうとくじょう)ともいい、最高の位をもつ錫杖である。錫杖を持ち上げ南無大日大聖不動明王と唱えて三度振ると前途の苦厄を払い身体を守って頂けるとのこと。
Photo_8

施無畏堂(せむいどう)
施無畏とは、降りかかる災害を払いのけ、恐れや不安をなくすという意味です。
Photo_10

五重塔
高さ約8メートルの朱色の塔は、全ての諸仏諸菩薩を迎来する塔で、本尊は金剛界大日如来です。塔下は写経室で、信徒の書いた写経や写経石が納められているとのこと。
Photo_9

拝観後バスに乗って金沢への帰路についたとたん、夕立になりました。歩いた後で良かった!!
金沢から越後湯沢に向かう特急「はくたか」から は、黄金田に沈む日が綺麗でした。
   秋没日 観覧車に影 重なりぬ   蘖
Photo_11

 

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »