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2012年7月23日 (月)

奥の細道を訪ねて 第4回 玉生・黒羽

7月22日、奥の細道を訪ねるツアーの4回目、玉生(たまにゅう)・黒羽を散策しました。玉生でほんの少し傘をさしただけでカンカン照りにもならず、散策にはちょうど良い日となりました。おくのほそ道の本文と、散策で廻る順が異なるので、なるべく本文に沿うようにしましょう。
玉生は芭蕉と曾良が宿泊した所です。
本文『那須の黒ばねと云ふ処に、知人(しるひと)あれば、是より野越えにかゝりて、直進(すぐみち)をゆかむとす。遥かに一村(いっそん)を見かけて行くに、雨降り日暮る。農夫の家に、一夜をかりて、明くれば又野中を行く。』とありますが、ツアーで配布のプリントによると、曾良の随行日記には、本文のような野原の中の農夫の家ではなく、玉生宿に宿泊し、しかもその旅籠に何らかの支障があったので、無理を言って名主の家に泊まった。玉生宿は戊辰戦争の中で、会津藩兵に放火され、名主の屋敷も宿場も焼失した。とのことです。
今は草茂る空地に「芭蕉一宿之跡」と「奥の細道 芭蕉翁の遺跡」の石碑があるのみ。
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本文の続き『そこに野飼ひの馬あり。草刈るおのこになげきよれば、野夫(やふ)といへども、さすがに情(なさけ)しらぬにはあらず。「いかゞすべきや。され共(ども)此の野は、東西縦横にわかれて、うひうひ敷(し)き旅人の、道ふみたがへむ、あやしう侍れば、この馬のとゞまる処にて、馬を返し給へ」とかし侍るぬ。ちひさきものふたり、馬の跡したひてはしる。ひとりは小娘にて、名をかさねと云ふ。聞きなれぬ名の、やさしければ、
かさねとは八重撫子の名成るべし  曾良
頓(やが)て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結び付けて、馬を返しぬ。』
黒羽に向かうバスの窓からの風景。 芭蕉が馬をかりた辺りでしょうか??
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上記本文の文学碑が芭蕉の館にありました。
ここが黒羽城跡 三の丸跡とのことです
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芭蕉の館の前にある芭蕉と曾良のブロンズ像
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芭蕉が植えてありました。
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館内には芭蕉に関わる資料と黒羽藩主大関家の資料などが展示されていました。
芭蕉は「かさね」という女の子との出会いが印象深く、もし自分に子供がいたら、「かさね」と名付けたいと曾良に語ったとのことです。NHK講座テキスト参照

かさねとは~の句碑は西教寺にもありました。
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本文 『修験光明寺と云ふ有り。そこにまねかれて、行者堂を拝す。
夏山に足駄(あしだ)ををがむ首途哉(かどでかな)』
奥州の夏山を望み、そこに向かう門出に、行者の高足駄を拝み、行者の健脚にあやかりたいとの句意。NHK講座テキスト参照。
修験光明寺、今は無く、跡地に句碑がありました。
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本文 『是より、殺生石に行く。館代より馬にて送らる。此の口付きのおのこ、「短尺得させよ」と乞ふ。やさしき事を望み侍るものかなと、
 野をよこに馬牽(ひ)きむけよ郭公(ほととぎす)』
是よりとは黒羽のことで、殺生石は次回のツアーで訪ねる場所ですが、この句碑が常念寺にありました。刻まれた文字を鑑定の結果、芭蕉の直筆である可能性が、極めて高いとのことです。
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常念寺に近い明王寺には「今日もまた朝日を拝む石の上」の句碑がありました。この句は芭蕉の門人である翠桃(桃雪の弟で黒羽藩国家老)の屋敷で開催された連歌会で詠んだもので本文には出てきません。
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芭蕉公園 桃雪邸跡地
芭蕉は黒羽に14日滞在。案内板によると、門人の淨法寺桃雪(黒羽の城代家老・翠桃の兄)の屋敷に八泊しています。桃雪のために詠んだ挨拶の句「山も庭もうごき入るや夏座敷」。句碑は庭も、となっていますが、芭蕉は庭に、と詠んでいます。この句は本文には出てきません。
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芭蕉公園から芭蕉広場、黒羽城址へと散策しました。
芭蕉広場には「鶴鳴くや其(その)声に芭蕉やれぬべし」の句碑。(絵の中で)鳴いている鶴よ。その声によって、(同じ絵の中の)芭蕉の葉も破り散ってしまうのでしょう。と淨法寺邸の鶴の絵をほめる「賛」として詠んだ句とのこと。大田原市のホームページ参照。この句も本文には出てきません。
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ここは藪蚊が多く、そうそうに芭蕉の館(前述)へと移動。芭蕉の館から黒羽城跡 本丸跡へ。紫陽花祭はすでに終わっていましたが、まだ沢山の紫陽花が咲いていました。
芭蕉の館から黒羽城址へ 遊歩道の紫陽花 橋の下は城の空壕
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黒羽城跡 本丸跡
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弟の翠桃の屋敷跡は案内板と墓地が残るのみ。
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那須神社
神社の前に「道の駅」が出来て、道路から神社は見えなくなったとのこと。
本文『八幡宮に詣づ。与一宗高、扇の的を射し時、「別しては我が国、氏神正八まん」と、ちかひしも、此の神社にて侍ると聞けば、感応殊にしきりに覚えらる。暮るれば、桃翠宅に帰る。』
ツアーには歴史講師がいて、歴史探訪も含んでおり神社や寺の歴史など詳しい説明がありましたが、私には難しすぎました。
那須神社 楼門
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本殿
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金丸塚 本殿の裏です。
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本殿の裏側 震災で壊れたとのこと。すこし改築がはじまったようです。
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道の駅の前にある那須与一の像。後ろの青い屋根が道の駅。
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大雄寺(だいおうじ) 
総門・本堂・禅堂・回廊・鐘楼堂・庫裡など茅葺きの屋根がきれいでした。(栃木県有形文化財に指定されている)
黒羽藩主大関家の菩提寺で歴代当主や家臣達の墓がありました。(大田原市の史跡に指定されている)
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黒羽は合併して、今は大田原市になっています。
黒羽にはまだ雲巌寺などあり、次回もまた黒羽からです。

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コメント

今回の奥の細道紀行文は専門的になり素人の私にはうまく内容をつかみきれないですが、よくぞここまで細かく観察された紀行文をおつくりになったと感心しております。芭蕉の紀行文より詳しく述べており驚きました。ここまで関心が深いと奥の細道が有効に生かされております。本文は良く分かりませんが、数多くの写真を楽しませていただきました。

投稿: 花知らず | 2012年7月25日 (水) 17時16分

花知らず様
有難うございます。
今回は句碑めぐりだけで終りましたね。
それなのに帰宅してから調べてみると2つも句碑を見落としていました。これは芭蕉の道入口と芭蕉の道にあり、ここは私が大雄寺の16羅漢を撮ったりして、遅れて講師の後を追っていた場所なので、聞き落としたのですね。失敗!失敗!

投稿: hikobae | 2012年7月26日 (木) 16時06分

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