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2012年6月30日 (土)

奥の細道を訪ねて 第3回 鹿沼~日光

6月24日、奥の細道を訪ねての3回目は鹿沼から日光でした。
鹿沼 光太寺  芭蕉が泊まったとされるお寺で芭蕉の傘塚が有りました。参道の紫陽花がきれいでした。芭蕉が泊まった当時は無住寺だったようです。写真は全てクリックで拡大出来ます
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傘塚 「芭蕉居士 嵐雪居士 」と彫られた墓碑。芭蕉の死後、寺に残された芭蕉の破れ傘を埋めて供養したとのこと。この碑の後ろに有る自然石が当時の碑との説明ですが、見落としました。
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鹿沼 今宮神社
神門、本殿、神楽殿、神輿倉、代官功徳の石燈篭などがあります。
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ここに『おくのほそ道』本文の句では有りませんが、芭蕉の句碑が有ります。
芭蕉が門弟の高橋怒誰に宛てて送った書簡に記している「君やてふ(蝶)我や荘子が夢心」の句。これは古代中国の荘子説話を踏まえたものと見られ、芭蕉は古代中国の荘子の思想に強い影響を受けていたとする説もあるようです。とツアーで配布されたプリントにありました。
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句碑は神社の裏手の小高い所にありますが、その石段の登り口にある飛越の獅子。句碑の他にいくつかの社が有り、その一つに東照宮も祀ってあるからとのこと。
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その石段の傍の切株の上に置かれていたこれは何かしら?
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代官功徳の石燈篭
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社務所の前では茅の輪を作っていました。6月晦日の夏越(なごし)の大祓いに使うとのこと。
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日光杉並木街道を二荒山神社に向かいました。
二荒山神社
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『おくのほそ道』本文に 
卯月朔日、御山に詣拝す。往昔(そのかみ)、此の御山を「二荒山」と書きしを、空海大師開基の時、「日光」と改め給ふ。千歳未来を悟り給ふにや、今、此の御光(みひかり)一天かゝやきて、恩沢八荒(おんたくはっこう)にあふれ、四民安堵の栖、穏やかなり。猶、憚り多くて、筆をさし置きぬ。
あらたふと青葉若葉の日の光
とあります。この句の句碑が日光東照宮宝物館の敷地内にあります。
あまりよく読めなくて残念です。
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この碑の傍に石の鳥居と石唐門がありました。
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芭蕉は日光でもう1句詠んでいます。
暫時(しばらく)は滝に籠るや夏(げ)の初
裏見の滝です。芭蕉の本文に『岩窟に身をひそめ入りて、滝の裏より見れば、裏見の滝と申しはべるなり。』とありますが、今は裏から見ることは出来ないようです。
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不動明王が見えます。
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この句碑が小学校にありました。昭和31年に開校した日光市立安良沢(あらさわ)小学校です。初めは滝の入口に建てられていましたが道路改修の結果こちらに移されたそうです。ちょっと見難いですが校舎の横の壁にも描かれていました。
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句の中の夏(げ)とは修験行者が夏の3ヶ月間、1ヶ所に籠って修行する「夏安居(げあんご)」のことを指し、単なる夏の初めではないとのこと。
ここから少し歩くと大谷川(だいやがわ)の大日橋の所に大日堂跡があり、ここにも芭蕉の句碑(あらたふと、、、)がありました。
大日堂跡
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説明板
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大谷川と大日橋
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橋から見た安良沢小学校 この景色には郷愁をそそられます。
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橋を渡って憾満ヶ淵の並び地蔵を見ながら歩きました。参詣者がこの地蔵の数を数えてみるとその都度数が違うので化け地蔵と呼ばれるようになったとのことです。とにかく川に沿って延々と並んでいました。
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途中にはこんな所も
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芭蕉は日光山の麓に泊まったと書いていますがそれが鉢石宿の仏五左衛門という人の家ですが、そこが何処かは不明とのこと。また、鉢石宿本陣を勤めていた高野家の庭に芭蕉の句碑がありました。その句は『あらたふと木の下闇も日の光』と言う句ですが、これは『あらたふと青葉若葉の日の光』の発案と聞いています。その句碑があったことにちょっと驚きました。
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鉢を伏せた形に見えると言う鉢石
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最後は稲毛神社の西行戻り石です。西行法師は、奥州藤原氏の許へ勧進の旅に出て、途中、日光を訪れたが、この時1人の子どもが背負い籠を負い鎌を持って石の上に休んでいるのに出会った。西行のどこへ行くのかとの問いに子供が歌で答えたので西行法師は子供でさえこれほど歌が上手いのだからはここから先では歌比べは難しいと思い引き返した。との言い伝えです(ツアーで配布の説明プリント参考)。芭蕉は鎌倉時代の歌人西行法師を崇拝し、その足取りを追っていたとのことです。
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今回は芭蕉に関係した所を廻りましたが、日光の見所は沢山あり、もし機会が有ればまたゆっくりと訪ねたいと思いました。

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コメント

長文の旅紀行楽しませていただきました。細かな観察と好きだからこそ注目する観点に流石と思われます。私も依然お話ししましたように深川の芭蕉めぐりをしましたがうわべをほんの少し舐めただけで芭蕉がこのようにすごい歴史を残していた人だと改めて感心させられます。また奥の細道は芭蕉の俳句を載せていて旅紀行が書かれていることは知りませんでした。お恥ずかしい。また芭蕉に随行した弟子[名前を忘れた)が書き残した旅紀行及び俳句も数多く含まれていると聞きましたが本当なのでしょうか?また写真と一緒に説明文の碑や看板を写真に撮っておくのは良い方法ですね。接写でとっているのですか?すべての写真が見事に取れており情景を見事に映し出しており大いに楽しませていただけます。ありがとうございます。またお願いいたします。

投稿: 花知らず | 2012年7月 1日 (日) 15時45分

花知らず様
句碑めぐりなんて興味がなかったらつまらないですよね。最初はそれほど思ってなかった奥の細道ですが、次第に夢中になってきました。原文はとてもリズミカルで無駄が無く、特に『月日は百代の過客にして~~』の序章は諳んじてしまいます。随行した曾良のことも原文の日光の章で曾良の句とともに紹介しています。
剃り捨てて黒髪山に衣替え 曾良
「芭蕉は自分の分身のように、自分の得た印象や感慨を曾良の言葉で語らせたりしている」と講座のテキストにありました。
説明板を撮っておくと後で参考になることが多いです。
いつもいつも有難うございます。自分の為にと思って書いていますが、見て頂けるとやはり嬉しいです。

投稿: hikobae | 2012年7月 1日 (日) 22時32分

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